女は俺を見ていた。
黒い服を着て、髪をだらしなく、胸の辺りまで垂らしている。
しかしその髪は、ちゃんと真ん中で分けていて顔をだしている。
そして俺を、真っ直ぐ見据えている。
ただ、残念ながら表情まではわからなかった。
女のいる位置が視界ギリギリだし、相変わらず霞んでいる。
そして妙だったのは、顔の高さ。
目玉しか動かせない状況なので、足元は見えない。
丁度腰の辺りで切れている。
女は間違いなく座っている。
立っている高さではない。
正座しているようだ。
でも・・・座っているにしては顔の高さが妙に高い。
中腰位の所にある。
・・・妙だ。
そしてそれよりも気になったのは女の格好・・・ポーズだ。
右手を天井へ向かって垂直に、縦に伸ばしている。
手には何も持っていない。
指先までピンと伸ばしている。
左手は多分、膝にあるのだろう。
正座していると思わせたのも、そのせいだ。
ただ、やっぱり顔の位置は正座しているよりは高い。
俺はつい反射的に反対側に目をやった。
玄関に続く、薄暗い廊下が続いている。
そして、薄々感づいていたが・・・やはりこっちにもいた。
最初薄暗くてわからなかなかったが、闇に紛れてこっちを見ていた。
男だ。
こちらは笑っているのが確かに見て取れる。
その笑いは、いやらしく、そして汚らしかった。
格好は・・・表現出来ない。
しようがない。
無いのだ。
体が。
最初は怖かった。
得たいの知れない女と、首だけの男。
でも不思議とすぐに怖くはなくなった。
今は、それ所ではない。
俺を最も困らせたのは幽霊まがいの二人じゃない。
信じてないんだよ、そんなものは。
夢うつつの状態でしか見えないような奴らに何が出来る。
そんなものより、そんなものより俺を現実としてあり得る恐怖に陥れたのはさっきから鳴っている、この音だ。
いい加減限界だろう。
バキバキと悲鳴を上げている。
多分・・・脳の血管。
脳梗塞、そんな言葉が浮かんだ。
この歳で?
野菜・・・もっと喰っときゃ良かった・・・そう思った。
もう一度右を見た。
女は相変わらず妙な高さ、妙な格好でこっちを見ている。
表情はやっぱりわからないが、さっきと変わっていないのだけはわかる。
そして、ふいに、幽霊の存在を肯定してみる気になった。
そもそも、幽霊や宇宙人など、オカルトめいたもんは信じていない。
勿論、呪いもだ。
歴史的に見ても、有り得ない。
そんなものあるのなら、人が死んだとき、自殺か、他殺かを調べ、他殺ならその中に呪殺なんてあったっていいだろ。
刺殺、絞殺、撲殺、呪殺なんてね。
けど、そんなの聞いた事がない。
ヒトラーの件でもそうだ。
黒魔術の本元、ユダヤ人の大量虐殺をしたにも関わらずその後も生き続けた。
断言してもいい、幽霊や、呪いは無い。
そう思っていたが・・・だけど・・・死因が原因不明の飛び降り、原因不明の心臓麻痺、突然の心筋梗塞。
とかならどうだろう?
実際の死因はそれらでも、それに繋がるなんらかの作用があったとしたら?
そして、突然の脳梗塞。
もし俺が本当に脳梗塞でこの場で死んだら、警察はただの脳梗塞で片付けるだろう。
家族も、悲しむかもしれない。
けど、まだ若いのに、とか思っても、まさか幽霊がなんて思わないだろう。
そんな事言い出したらただの痛い人だ。
それになにより俺は幽霊を見た事が・・・今見てるのがそうかもしれない。
俺は女を見つめながらそんな事を考えていた。
体はもう動きそうにない。
・・・脳梗塞?
突然の?
まじか。
でも、この音と痛みは、そうとしか考えられない
いや、考えられなくなっていた。
ただでさえ体が動かないのに、この有様だ。
駄目だ、何も思いつかない。
そして今見ているのが幽霊なのだと考えた途端、急に恐怖がこみ上げてきた。
今度は音ではなく、この二人に。
さっきの恐怖とは違う。
さっきのは、急に出てきた得体の知れないモノへの恐怖。
今度のは、確実の俺を死へ追いやるであろう人ではないものへの恐怖。
これは、もう薄れる事はなさそうだ。
そして、女は天井へ向けていた右手を、俺へ振り下ろした。
また、表情に変化はない。
えらいゆっくりに見えた。
多分誰もが1度は経験したであろう、スローモーション現象。
事故にあった瞬間などによく起こるらしい。
実際俺もあった。
事故もそうだが、サッカーやっててボールが顔に飛んできた時、その時もゆっくりだった。
もう、何も考えられない。
走馬灯も表れない。
ただ女の右手だけを見つめていた。
真っ白だ。
ただ、一言だけ最後に浮かんだ。
俺、死んだな、と。
真っ暗だった。当然だ。
女の右手は、俺の首元へ打ち下ろされた。
その瞬間、俺は目をつぶっていた。
・・・目を開けるのが怖い。
何も感じなかったし、痛みも無かった。
目をつぶった瞬間音も消えた。
でもやっぱり、目を開けるのが怖い。
見える景色が、自分の部屋じゃないような気がする。
元々、体の感覚は無かったので、何もわからない。
視界にあるものだけに頼っていたので、目を開けなくては何もわからない。
音が消えた事だけが唯一の救いだっだ。
仕方が無い、俺は目を開けた。半開きだけど。
女は消えていた。
男も消えたいた。
助かった、そう思った。
けど、そうじゃなかった。
目を開けると、また音と痛みが襲ってきた。
ドドドドドドド!
バキバキバキッ!
痛い、さっきよりも痛い。
目玉が飛び出しそうだ。
顔面をもの凄く圧迫されている気がする。
でも、目に見える恐怖がなくなった事で、体を動かすという本来の目的を思い出せた。
早く、早く起きろ、馬鹿体!
左を見てみる。
玄関へ続く、薄暗い廊下にはもう誰もいない。
そちらへ向かって思い切り体を動かそうとしてみる。
動け、動けってマジ。
!
動いた!
と思ったら幻覚だった。
畜生!
ビデオテープを巻き戻したような感覚。
気付いたらまた元の位置に戻っていた。
諦めず今度は右にねじってみる。
女のいた方だ。
早く、この音が弾けない内に!
!
動いた!
と思ったらまたも幻覚だった。
クソッ!
延々と同じ事を繰り返しているようだ。
もう何十分も格闘している気がする。
いい加減、嫌になってきた。
相変わらず顔は痛いし。
うるせぇし。
天井を見た。
目が疲れた、視界が滲む。
涙でもでているのだろうか?わからない。
目を閉じ、体を動かす事だけに集中してみる。
もう右も左もわからない。
もう少し、もう少しなんだよな。
例えると、くしゃみがでそうででない感じに似ている。
例えると、あくびがでそうででない感じに似ている。
体が動きそうで、動かない。
誰か助けてくれ!
という夢を見ていた。
気が付くと俺は座椅子の上で上半身を起こしていた。
もう音はしない。
助かったとは思わなかった。
それよりも体がダルい。
そして金縛りのあとに起こる特有の頭痛。
更に強烈に眠い。
その事が安堵の気持よりも勝っていた。
そしてその感覚が、今起こった事がやはり夢ではなかったんだと俺に思い知らせた。
このままもう一度寝てしまおうか。
それ程までに眠い。
が、さすがにあんな事があったあとですぐ寝る気にはならなかった。
それに、経験上金縛りのあとにすぐ寝ると、またすぐ金縛りにあう。
この前3回連続でなった事もある。
風呂に入って、布団で寝なおそう。
そう思い、無理矢理立ち上がって風呂場へ向かおうとした。
頭が凄く痛い、ダルイ、眠い・・・つーか、歩けねぇ。
立ち上がったものの、視界が歪み、真っ直ぐ歩けなかった。
立眩みに近いが、そうではない。
焦点が合わない。
吐き気がする。
ついよろめいて壁に手を付いた。
生まれて初めての感覚にとまどいながらも、そのまま壁伝いに歩く。
途中立ち止まり、頭を揉み、時間を置いた。
さっきよりは大分マシになった気がした。
そこでやっと、終わったんだ、俺は助かったんだと思った。
だってそうだろ?
もう体も動くし、少しずつだけど、体調もよくなってきている。
あとは、風呂に入って寝て、それで終りだ。
そう思い、曲がり角を壁伝いに曲がる。
先程、首だけの男がいた場所だ。
玄関へ続く、薄暗い道。
もう忘れていた、男の事なんて。
でもそうじゃなかった。
角を曲がった瞬間。そこには・・・
なにもねーよwww